小林カムイと鈴鹿F1日本グランプリ
2010年 10月 17日
今回は、歯並びや京都とは関係のない話題、F1グランプリについてのお話です。
F1グランプリは世界最高峰の自動車レース選手権で、オリンピック、サッカーワールドカップと並ぶ世界三大スポーツとされています。
1950年より始まったF1グランプリですが、今年は12チーム24台が参戦し世界19か所を転戦します。
日本からは、兵庫県・尼崎市出身の小林可夢偉(こばやしかむい)選手が参戦しています。
昨年シーズン終盤に、怪我で欠場したドイツ人選手の代わりとして急遽パナソニック・トヨタチームから2レースに参戦し、ベテラン顔負けの活躍で注目を集めました。
翌年はレギュラードライバーとして更なる活躍を期待されましたが、トヨタチームは不況を理由として2009年限りでのF1撤退を表明します。
小林選手にとってタイミングが悪かったことに、この時期はほとんどのチームが来年のドライバーを決めており、移籍できる余地はほとんど無いように見えました。デビュー直後にしていきなりキャリア終焉の危機を迎えてしまったのです。
小林選手を救ったのは、同時期にF1撤退を表明したBMWチームを買い取り、チームの再建に乗り出したペーター・ザウバー氏でした。ザウバー氏はBMWチームの前身にあたるザウバーチームを率いていた人で、BMWにチームを譲り一度はF1の世界から引退をしましたが、自分が興したチームの消滅を見かねてF1に戻ったそうです。
ザウバー氏は、新人ドライバーの才能をいち早く見抜く眼力に定評があります。ザウバー氏の元で育てられたドライバーには、ミハエル・シューマッハー、キミ・ライコネンなど後のチャンピオンとなった選手が含まれています。
ザウバー氏は、チームの再建にあたって真っ先に小林選手と契約し、2010年の選手権に臨みました。
シーズン序盤は、機械の信頼性不足によるリタイア(途中で故障してしまう、ということです)が続きましたが、チームの立て直しが進むにつれ、小林選手の目覚ましい活躍が見られるようになりました。
そして10月10日、鈴鹿での日本グランプリ決勝を迎えました。小林可夢偉選手にとっては初の母国凱旋レースです。
ホンダ・トヨタが撤退し、ブリジストンも今年限りで撤退するため、日本の期待は小林選手の一身にかかります。
今回私は、尼崎市の朝井矯正歯科院長の朝井寛之先生と一緒に、鈴鹿日本グランプリを観戦しました。
写真はレース開始直前のグランドスタンドからの風景です。前日の豪雨が嘘のような晴天でした。
中央上の白い車が小林選手です。朝に行われた予選では少しミスがあり、14番手からのスタートです。
レースはスタートからリタイヤが続出する波乱の展開となりました。
鈴鹿はオーバーテイク(前の車を追い抜くこと)の難しいサーキットですが、小林選手は卓越した作戦とテクニックでどんどん順位を上げて行きます。
終盤、タイヤ交換を行った後は上位チームを次々と追い抜き、ついに7位入賞でレースを終えます。
小林選手の前には今年のチャンピオン争いをするレッドブルやフェラーリなどの5台と、メルセデス(ベンツ)に乗る史上最多勝利数を誇るシューマッハの計6台のみですから、チーム力から考えると望みうる最高の結果と言えます。
予選を失敗して不利なポジションからのスタートであることを考えると、ちょっと考えられないくらいの好結果です。現地では大勢のファンが大喜びしながらも、小林選手の活躍があまりにも凄過ぎてにわかには信じられないような、不思議な空気が漂っていました。
小林選手には、日本のF1の将来をすべて1人で背負い込むような大変なプレッシャーがあったのだろうと思います。川喜田研さんの記事や片山右京さんのコラムからも窺い知ることが出来ます。(リンク先のページも是非ご一読下さい)
みなさんも是非、小林可夢偉選手を応援して下さい!
by yamawaki2527 | 2010-10-17 13:07 | その他